Hazy Ideas

日々の勉強の気づきを書き出しています

無題

色々と事情があって、研究を続けられなくなった。応援していただいた友人・知人に申し訳が立たない。こんな形で中断せざるを得ないのは不本意だ。

 

研究という狭い世界においては、例えとばっちりでも、何の問題を起こさず、大人しくしておくことが大事だった。理想や信条などいらなかった。つまり自分には向いてなかったのか。私は筋を通す科学者でありたかった。

 

記録用に書いて下書きに戻した日記も、夢を追った人間の記録として、全部終わったらまた戻したい。眠れなくなって、ベッドに入っても不安で心拍数が高いままで、気づいたら外が明るくなることもしばしば。昼食を食べる場がなくなったので毎日、屋外非常階段の踊り場で、カップ麺をすすりながら空を見る日々。この景色を一生忘れないだろう。

 

研究しかなかったら、病んで死にたくなるまで、研究にしがみついたのだろうか。企業を経験しているとその違いから、狭くて古い価値観の世界に辟易して、ショックだったり呆れたりして、何も言葉が出てこない。同時に、精神削って死ぬ気でやるほど、本気でなかったのだろうか。何事も短い期間で大成はしない、数年で離れるのは違うのではないのかとも思う。

 

もともとキャリアには柔軟な考えで、アカデミックポストに固執するつもりは最初からなかった。でも人に説明するときに、ロールモデルで分かりやすい人を知らないので、どうしてもthe研究者をベースに話すしかなく(自分も考えが古い)、諦めたように聞こえるだろう。実際、諦めに似た部分がある。

 

ゴールの再設定をして、次のキャリアを模索する。迷いがあるから、簡単にぶれる。キャリアを考えるのは難しい。