Hazy Ideas

日々の勉強の気づきを書き出しています

博士課程x年目で思うところ

年が変わる前に、一回、最近思うことを改めて文章にしてみようと思う。記録と頭の整理用。

 

おさらいとして、私は社会人を数年経験して、博士課程に進学した者である。国際協力系の分野にかつては憧れつつも、自分ができることは理系の基礎研究系だったので、どんどんかけ離れていっているのが現状である。

客観的に見ると、何者かになりたくて退職して進学したという、よくある若者の枠から出ていないんだろう。そして、まだ何かが見つかったわけではない。

 

立ち回り方

入学前は、さまざまなバックグラウンドの同級生と知り合って、研究者や行政・民間に人脈広げることを想定していたけど、実際には実験ばっかりやって、人の輪は全く広がっていない。環境や所属コース的に仕方ない部分もあるのだけども、それ以前に自分の性格的に、知らない人と話せないというか、他人に余計なことを言わない・触れないという性格なのだ。固定された環境に満足しているわけではないが、明確な理由もなく外の世界に踏み出せない自分がいる(人と話すのに免罪符が欲しいのか)。組織内の人間関係がごちゃごちゃしているのを気にして、誰とも話さない方が楽だと思ってしまっている。この現状は本当に良くない。どうせあと2年もいないのだから、後先考えずに首突っ込んどいた方がいいだろうけど。あまり人目を気にしすぎずに、思うままに動くのがいいのかもしれない。

 

研究について

一人で何でもできる様になって頑張っても、いい研究にはならない。評価される研究、そして研究者として評価される要件は、いろんなカウンターパートと協力して進められるかだろう。今のままでは足りない。自分で何か機会を拾ってこないと、日が当たらないまま終わる。

 

お金について

奨学金では生活費が賄えない、かつ研究に必要な機材も購入しているので、貯金を崩しながら生活している。というか小金稼ぎに時間を費やしている。それが時給じゃなくて、1本いくらというものだから、集中力が低い時に手をつけてしまうと、時給換算1000円を切ってしまうことがよくある。会社という肩書きがないと、1000円というお金を稼ぐのもすごく大変なのだ。今、多くの人よりも必死で日々勉強して研究を進めている自信はあるし、将来の世界のためになることをやっていると思っているけど、それが世間的に「役に立つ」と思われているとは限らない。それだけやってアカデミアに残っても、一生低賃金で生活し続けられるか、というとこの一年で気持ちが揺らいできた。元々アカデミアにこだわりはないつもりだはあったが、今やっている研究活動は面白いし、自分の性格的にも研究機関に残るのは良い選択に思える。ただ、どんなに頑張っても世間的には認められないまま人生が終わる人の方が多いのが研究者だ。

 

学術か民間か

研究機関に所属していると、中立的な立場で、縛りが少ない中で好きな活動ができる。経済的根拠がなくても、社会的・学術的な理由をつけてやりたいことができる。財源は税金であることが多いので、クリーンである必要がある(もっというと融通が効かないことがある)。金額規模が小さいので、大規模なことはできない、資金源を確保するために動き回る必要がある。

民間企業の場合は、社会のためお金のためという大義名分のため、動くことができる。会社によっては、チームで動けるのでマンパワーも豊富。財源が民間なので、融通も効かせられるし、金額規模も大きい。ただし、お金につながらないと好きなことはできない。

自分のやりたい方向はどっちなんだろう。

 

進学したことに後悔は全くない。けど、これから1年の動き方はよく考えないといけない。一度踏み外すと、優しく引き戻してくれるほど、研究世界は甘くない。

今、ちょっと目標がブレてるな。迷う時期ではあるのだろうけど、ふらついてると、降ってきたチャンスを逃してしまう。

 

メモ終わり。